鎌倉前期、再建時の木くず?

東大寺南大門:鎌倉前期、再建時の木くず? ヒノキ材確認、製材跡も

 
奈良市雑司町の東大寺旧境内地の鎌倉時代前期の穴から
見つかった木くずが、平家による「南都焼き討ち」(1180年)で
焼失した南大門(国宝)復興に関係する可能性が高いことが、
同研究所の調査で分かった。

 同寺の収蔵施設などの建設に先立ち、同研究所が昨年8月、
南大門の北西約50メートル付近で約430平方メートルを発掘した。
木くずは手斧(ちょうな)で製材した痕跡があるヒノキ材の削りくず数点で、
直径約30センチ、深さ約10センチの穴で見つかった。

 東大寺は、平安末期の源平争乱の際に反平家の動きを見せていた
南都の諸寺を平家が攻撃した「南都焼き討ち」で壊滅的な打撃を受け、
大仏殿など多くの堂塔を失った。61歳の僧、俊乗坊重源が大勧進職に
任命され、精力的に大仏や諸堂の再興にあたり、南大門は1199年に
上棟された。同研究所によると重源による鎌倉復興に関係する可能性が
ある遺物を確認したのは初めてという。

 このほか短期間しか使われずに埋められた同時期の井戸などを確認。
塀とみられる柱穴列も見つかったが、柱の太さが10~15センチと細く、
仮設の建物や区画用の塀の可能性が高いという。同研究所は
「鎌倉時代前期の遺構は非常に多く、一帯が製材所として使われていた
可能性が高い」とみている。

【山成孝治、林由紀子】
毎日新聞 2007年7月18日 大阪朝刊


鎌倉時代に建立された寺社はなんとなく好きです。
私の母が、こういったお寺に近づくことを嫌がって、
何とあの阿修羅像の絵葉書さえも捨ててしまうくらいでした。
本人曰く、霊感があるので、こういうものを見ると、嫌な霊に
付きまとわれるというのです。気のせいだと思います。

東大寺の再建には、頼朝が随分力を入れたと聞いてましたが、
平安末期の源平争乱の際に反平家の動きを見せていた南都の諸寺
だからだったのですね。

お寺と政治はどうも関係がつかめていないので、とても恥ずかしく感じました。

鎌倉期の再建である東大寺南大門と鎌倉にある建長寺は
大好きなのですが、どちらも奈良の人が天平白鳳の建築物を
修復し、研究したからあんないいものが再建・建立できたのだと思います。

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