育ちのせいでしょう

母がなくなり、二七日を迎えた時から、花屋さんにお願いして、祭壇にふさわしいお花をアレンジして、お供えできるように手配した。

お仏壇にしても、神棚にしても、大切にお守りしてこそ、意味がある。
もちろん、私は何が何でも先祖供養とか信心の強要はしない。

もし、死んでしまったらもうそれでオシマイ。
遺体を法に則ったやり方で処理して、お墓とか供養とか戒名とか法要なんか要らないし、自分の先祖のことだって知ったことではないという方がいたら、当然その方の信じているやり方でやっていけばいい。
仏壇なんか意味がないならば、さっさと捨ててしまったところで、当事者が納得するならば、私の口出しをすることもないだろう。

仏壇を捨てるならば納得できるのだけれども、仏壇を置くならばきちんとお仏壇にお世話をしないというのも納得できない。法事のときだけ、位牌を取り出して、何回忌とか形だけやっているのを見かけると具合が悪くなってしまう。
今日もぶっ倒れたくなるようなお仏壇を見て、そのまま頭が重くなって、倒れてしまった。
まるでコナキジジイでも背負っているような重さ。
あんなお祀りの仕方はぞっとする。

閑話休題

夫に『私がなくなった後は、荼毘に付して、お墓はいらないから桜の木の下に埋葬してほしい。』とお願いしたら、あっさり、『お母さんの遺骨では、桜の肥料にならないからだめ』と却下された。

肥料にならないからだめ!!!
もっと他に言いようがないのだろうか。

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