その時だけの常識

皇室談義~皇族方の学歴とお妃選び~」について
ジョン・スタインベックの『怒りの葡萄』は有名な小説。

そして、書かれていた当時のことは1970年代にはすでに、社会事情が『忘却のかなた』になっていて、参考資料や説明が分厚い本になって出版されないと、もう内容が理解できなくなっていた。

国会議員の学歴詐称問題で、せっかく積み上げてきた政治家としての道のりが、中断せざるを得ない羽目になる。(ウソをついたならば、勿論、犯罪だから、是非もない。)しかも本人が卒業と信じていたら、犯罪あつかいできるものか、情状酌量にすべきか。犯罪か間違いか。
うーん。

しかし、司法試験や外交官試験に合格したことによる大学中退と、ただ中退して自分の人生を進んでいくことは、ちょっと意味が違う。というか、目的果たして学校が必要なくなるし、司法研修など始まったら、学校に行く時間もない。

香淳皇后は、ある日、学校に父君が馬車でお迎えにきて、『ご結婚が決まった。』との一言で
退学して以来、ご自宅にて教育を受ける.
これも中退といえば中退。でも、その後の家庭教育は、学校での勉強よりも修行に近い。

学籍を持つということは一種の社会身分であるけれど、事情によっては勉強と学生身分は同時にてに入らないこともある。一言で事情が分かる人が少なくなったら、言葉も少し説明を足すことって大事なのかな。


医師の国家試験に受かっても、大学は中退したら、医師になれるのだろうか。今度、お医者さんに聞いてみよう。

赤川次郎さんが流行の言葉は使うと将来読んでも何を書いているのか理解されないので、使わないようにしていると書かれていた。

使う言葉、そして、事情は時間の流れに呑まれて『詳しいことは分からなくなる。』
だから、言葉の使い方には気をつけようと思った。思っただけでなく、私もがんばらないと。

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